情報
2022.12.07
らーめん大金の「想いと歴史」
店主の想い
初少期、私(大金純一)の家は佐野ラーメンの老舗 「おぐら屋」の隣にありました。
高校時代にはここでのアルバイト経験もあり、その味で育ったといっても過言ではありません。
卒業後、一般企業へ就職し、いくつかの職を経験しました。
その頃、就いた営業の仕事を通して、工場で生産された商品の不具合があった場合、販売業務を担当する営業の立場としては、頭を下げ、お客様に謝る経験の中で、どうしても自分の中で、合点がいきませんでした。
そこで、「自らの作った物を自らの責任において販売し、そこに真の価値を求めたい。」「お客様に本当に喜んでいただけるもの作りをしたい。」「自分はそんな仕事を生業としたい。」 と思うようになったのです。
そんな想いを胸に、一念発起しラーメン道へ、30歳の時でした。
挑戦
そして、その後 5年の修業の後、2008年(H20)4月に独立を果たし、佐野市赤坂町に「ラーメン大金」をオープンします。
座席数30席の小さな居抜き店舗でした。
オープンすれば修業先のように繁盛すると思い込んでいましたが、現実はそんなに甘くはありませんでした。いわゆるオープン景気が終ると、毎晩残ったスープを廃棄する。本当に辛い日々でした。
こはんを置いて欲しいという声もありましたが、「ラーメンを食べて欲しい!」という強い想いを貫き通しました。
変化
オープンして2~3年が過ぎ、やっとリピーターやご近所の方々で賑わうようになり始めた項。
NHKの「家族に乾杯」という番組で、笑福亭鶴瓶さんと唐沢寿明さんが、佐野を訪れた放送回がありました。
公園で行き交う人々に「おすすめの佐野ラーメンはありますか?」とインタビューすると、何人かの方が「大金」と応えてくれたのです。市民の方々に認知されるようになったんだ。と実感できる、とても嬉しい出来事でした。
そして、当店への番組取材は無かったにもかかわらず、翌日のオープン時には大行列となっていました。あの日の事は今も鮮明に覚えています。 そうなってくると、お店も駐車場も手狭に感じるようになり、徐々に移転を考えるようになっていきました。
遂に、開業から約4年半、2013年(H25)の11月新店舗をオープンすることになりました。
移転の立地条件として常に考えていた事が、幾つかありました。
1.広い駐車スペースを設けられること
2.現店舗(旧店舗)から近いこと
(既存客や近隣住民の方々に引き続き通っていただきたい、という想い)
3.幹線道路に面していないこと
(交通量の多い大通りから一本入った道沿いに在ることで、初めての来店客が迷いながら運転しても、事故に遭いにくいように、という想いから)
4.建物は段差なしのバリアフリーであること。(これは必須条件でした)
バリアフリーへのこだわり
なぜバリアフリーにこだわったのか。
それは息子が小学生の時、 車いすのクラスメイトがいたことに由来します。
当初の仮店舗は店内も狭く、もちろん入口の段差もあり、車いすでトイレに入ることも不可能でした。 来店時にはいつもお父様が抱きかかえて一苦労。それでもよくいらしてくれたのです。
「よし! 新しいお店を作ったらタックンも使いやすい店にしよう!」そう決めていました。
新店舗では入口からスロープにし、開口部は全て段差なし 。トイレには手すりを付け、車いすの方でも使用できるよう設計しました。
今では、車いすで自らの運転で来店される方。ベビーカーを押すヤングファミリーや、お買い物帰りのカップル。杖をつきながら歩くおじい様を優しく見守る大家族。様々なタイプのお客様をお迎えすることができるようになりました。
今日までの歩みを続けることができたことは、ひとえに皆様方のご愛顧に他なりません。
感謝、感謝の毎日です。
当店のラーメンは奇をてらうことはなく、シンプルです。
シンプルなスープと、佐野ラーメン独持のちぢれ麺に、懐かしさを感じるトッピング、奇をてらうことなく、ただそれだけなのです。
それでも、そのシンプルなスープと麺を一度食した後に、「佐野に行ったらまた食べたい。」「今日もまた食べたい。」と思っていただきたい。
そんな気持ちを抱いてくれる方がひとりでもいてくれるなら、 体力の続く限りずっとこのラーメンを作り続けたいと思っています。
愛する一杯を、沢山の方にお届けしたいから...
店主 大金純一